角帽
Cap&Gown
白線
そして
参考文献
日本の角帽
欧米の角帽
学生帽・白線帽

軍帽

和田が日本の学生向けの帽子を考案していた時、芳賀が述べているようにもう一つの伏線として軍隊の帽子というイメージがあったことがあげられます。
日本と欧米の角帽の大きな違いは鍔(つば)・目庇(まびさし)がついていることです。

明治初期の軍隊はフランス式の兵制を範としていました。軍服もフランス軍の制服を取り入れ将校はケピ帽(Kepi)とよばれる帽子を被っていました。
ケピ帽は目庇が付いて、クラウン(腰から天井にかけて頭全体を被う部分)が頭の形に沿ってやや先すぼみになり、天井が丸い平たい円で後部が少し高くなっている形の帽子です。
フランスの伝統的な軍帽ですが、アメリカ南北戦争の時に南北双方の兵士がシャスラーケピ帽というこの形の帽子を被っています。ただ立ち上がりの少ない小さめな帽子なので雨や強い日射に弱く、後にForage Capというトップを突き出るように高くした形にしています。
ケピ帽は独特の雰囲気があり兵士の間ではやや斜め前かげんに被るのが粋な被り方でした。

明治三年(1870)十二月二十二日、維新政府の最初の軍服規定ともいうべき太政官布告第九百五十七号「陸軍徽章」が布告されました。「徽章」というのは階級章などを含む制服全体のことをさしていますが、当時まだ政府直属の軍隊はなく、各藩常備兵編成のおおよその基準として公布されたものです。
その中にケピ帽があり、トップの平たいところに日本では安倍清明判紋、あるいは清明桔梗と呼ばれ、西洋ではペンタグラマという魔除けの意味がある五芳星をつけるようになっています。階級によってその数が違っており、西郷隆盛が着たという大将の帽子のトップには六つの金線の五芳星がついています。

明治六年九月二十四日には太政官布告第三百二十八号「陸軍武官服制」が出されフランス式の正式軍服が整備され将校の第一種帽(正帽)としてはケピ型の帽子、下士官はシャコオ型(筒のような縦長の形)の帽子が制定されました。
そして同年十月十七日に陸軍省達第四百五十八「陸軍武官略帽」で第二種帽の布告が出されました。
第一種帽は正装・礼装用であるのに対して第二種帽(略帽)は軍装軍務の時にかぶる帽子です。
ここでドイツ(プロシア)式のミッツェ型で紺色の帽子が略帽に制定されました。

このミッツェ型略帽が後に陸軍兵士の正式帽子になり、現代に至るまで広く日本の制帽の範となっていきました。
日本の陸軍はフランス式兵制を基に軍備を進めましたが、当時ヨーロッパではドイツ軍の優秀さのほうが知られており、明治十九年からドイツ式兵制を取り入れ始めたのもミッツェ型が普及していった一因でした。

和田らの発想は、欧米では主に儀式・式典の時に被る角帽を普段日常で被る帽子にするにはどうすればいいか、ということにあったと思われます。
その時、意識するとしないに関わらず軍帽のイメージが一つの起点になったことは充分考えられることです。
そしてケピ帽は陸軍の第一種帽で一般の人にはやや被りにくい型であること、モルタボードの四角の形をクラウンのところに乗せるのはミッツェ型系のほうが恰好よく被りやすいと考えて最初の日本式の角帽を考案していったのではないでしょうか。


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