旗の知識 オランダ
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オランダ王国国旗
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世界の国旗デザインの中で最も多い3色旗のことをトリコロールと言いますが、とりわけ青白赤の美しい配色のフランス国旗が有名となり、一般にトリコロールといえば縦3色のフランスの国旗を指しています。
しかし全ての3色旗のお手本となったのは、この横3色のオランダ王国国旗です。
オランダも大陸の一国として複雑な歴史がありますが、この旗の配色は16世紀後半、スペイン支配からの独立戦争の先頭に立ったオランイェ(オレンジ)公ウィレム(ウィリアム)I世の紋章の色に由来したものといわれています。最初はオレンジ・白・薄青でしたが、1648年のウェストファリア条約によって独立が国際的に認められる頃から、海上ではオレンジは薄くて見えにくい色であること、形としては世界初の共和国でしたが実質はオランイェ家世襲の王制が続いていて、後世の人々のオランイェ公爵家への反発心などからオレンジの色から次第に赤に変わっていきました。
1810年、ナポレオンの支配により一時的にこの旗が消滅しますが、ナポレオン失脚とともに復活し、1816年3月16日、勅令によって赤・白・青の旗が正式に国旗に制定されました。それでも、赤とオレンジの色は人や場合によって微妙に変わり、1937年2月、時のユリアナ女王の勅令によって正式に今の色の国旗となりました。
オランダはスペインからの独立を果たす頃から、商工業や貿易によって急速に国力をつけ、1609年に東インド会社を設立するなど、豊富な海運力、最新鋭の海軍力を活かして七つの海に進出する世界の強国になっていきました
。
日本においては、島原の乱などを経て徳川幕府が鎖国政策に進むなか、長崎の出島でオランダとの交流や貿易だけが認められ(オランダはキリスト教でもプロテスタント系だったこと、また清国も非キリスト教国ということで認められていました)、科学や医学などの最新の知識や世界情勢などの貴重な情報がその窓口からもたらされました。鎖国200年の日本の空に唯一翻っていた外国旗がこのオランダ3色旗でした。
また嘉永6年(1853)のアメリカ東インド戦隊司令官ペリー(Matthew Calbraith Perry)准将率いる黒船来航による危機意識の中、当時長崎にいたオランダ海軍中佐G.ファビウスによって近代海軍創設の意見書が長崎奉行水野忠徳に出され、それを受けた幕府は安政2年(1855)、長崎の出島に長崎海軍伝習所を創設、航海術や最新の軍艦の機能・操作・教練、国旗・艦旗などの旗の扱い方を含む国際法のルール、常識をオランダ海軍将校教官から学び、後の帝國海軍のみならず明治の近代技術発展の基礎を築いたといわれています。有名な咸臨丸(ヤーパン号)はオランダ海軍建造の最新型の練習艦、また榎本武揚率いる同じ幕府海軍の開陽丸は当時の最新鋭の軍艦でした。
オランダ国歌には「赤は多くの戦いにのぞんだ国民の勇気を、白は神の永遠の祝福を待つ信仰心を、青は祖国への忠誠心をあらわす」と謳われています。
正式縦横比=2:3
通称、ドゥリクレ(driekleur=和蘭語で「3色」)
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